Home

約やかな三枝乎の家
 

  我が家の長女    

 妻の教え子に頼まれ養子にしました。うちへきて5年になります。最初は慣れず、机の下などに隠れていましたが、何度か話し掛けているうちに近寄ってくるようになりました。そのうち、屋外を走り回ったり、屋内では狭いところにもぐりこんだり。声を出さず、移動の際には足音を立てないので、度々行方不明にもなりました。チビタという名の兎です。女の子ですが教え子が付けた名を尊重しています。その子の家で飼えない理由もすぐにわかりました。柱・障子など木製の部分がまず被害に遭いました。ある日気が付くと、中国で買った高価な掛け軸も齧られていました。さらにある日、姿が見えないから屋外でいるのだろうと思っていたら、何やら2階で物音がする。兎が階段を登るとは考えもしなかった。みればそこらへんじゅうが蒲団の綿だらけ。人間の子と違って怒っても改まるわけではないので、なすがままにしておくしかありません。2階へ登る度に連れ戻すのが大変。簡単には捕まえられません。いちどはまだ薄暗いうちに私の蒲団の足下からもぐりこみ、そのまま放っておくと徐々に上の方へやってきて足の付け根に到達。そこにあった彼女にとっての邪魔物、すなわち、キンタマをかまれた時は強烈な痛さでした。(ーー;).。oO(想像中)家は開けっぱなしだから時には出張もします。100mほど離れた家庭菜園や、よその家・会社にも行ってるらしく、近所の人にあとから聞いて知ります。自分で帰ってくることに感心しています。いつもいつも話しかけていると、いくらかは学習するようです。私が家へ帰ると、走って玄関へ迎えにきてくれます。♪(o^_^o)♪夕飯の時は私のひざに前足を掛けメシの催促。最近は市販の餌をほとんど食べず、生麦・生米・茶の葉・胡桃・干し葡萄・大根葉・人参・りんご…。庭の草木では、樫・笹・南天・タンポポ・青じそ・朝顔・ピラカンサなど緑なら何でもいいという感じです。妻が園芸好きで鉢植えの草花が100近くありますが、花も葉も次々に食べている。ムシャムシャ・シャキシャキという音がとても気持ちいいので、私は黙ってみています。ひとつきほど前からチビタに友達ができました。他の雀は外に撒いた余った飯粒を食べているのに、1羽だけ仲間はずれになったのか、家に入ってきてチビタの餌を食べています。手の届きそうな距離で床をチョンチョン歩いています。次は手乗り雀にできないかなという楽しみができました。私は、人間の子にとって、ある程度意思の通じる動物を飼うのは、自然に優しさが身につき身近な死を知ることができるという意味で、とてもいいことだと思います。カブトムシが死ぬと、「おかあちゃん、電池が切れた」と言うような子に育つのは困ります。私たち地質調査に従事する者は、調査→設計→施工の流れの中で最初に自然に接する立場でありますし、自然を率直に診るべき技術者でもあるので、自然に対しても最も優しい存在であるはずです。同時に、自然への畏怖を最も知ることができる立場でもあります。キリスト教の教義に、人間は自然を支配するために地球に遣わされたと表現されているせいか、自然は人間にとっての利用対象,自然は人間と対置する存在という考えが多いように思います。しかし、あらためて人間は自然の一部でしかないことを認識する必要があります。人間が環境を守ると考えるのはおこがましいことです。
他の動植物にとっては、人間がいない方が平和であることは間違いありません。

       チビタのお父さんから 地質調査業界紙へ投稿されたものです) 

         
   

 

チビタのお母さんからのFAX報告
ウサギのチビタは 私の座布団をガリガリ!カバーが破れてしまいました。
そしてズボンをつつき、ひきよせてやると私の腕に顔をのせて、撫でてやっていると眠ってしまいます。ほしぶどう、クルミ、大豆、ビスケット等 欲しがっては突付きます。大体11時頃寝床へ。
 

1月3日の朝日新聞、滋賀版『あいあいしが』(週一度 水曜に発行)に出ました。
2面使った『我が家のペット 家族同様のおつきあい』子馬、犬、猫に並んで
こたつに入った夫がチビタを抱いている写真です。そしたら、30年前に教えたかたが、その写真を葉書きに写して便りをくれました(=^-ェ-^=)。oO(ありがとう!)
「きっと先生のところやと思って」と書いてくれてありました。
今、外でウンチをして じっと外の空気を吸っています。(大体1時間くらい) 呼ぶと入ってきて食べ物を要求し、つついたり、膝に前足をかけたり。大豆、クッキー、くるみ、らっかせいを一通り食べ、いらなくなるとアゴで飛ばしています。お母さんからの報告

<(c) ivory >  口から大きく息をはいてぇ〜『フゥ〜〜ッ』 ハイ、鼻からイッパイ吸ってぇ〜 花びらを『たまにゃん』と一緒に遠くへ飛ばすつもりで『フゥ〜 まだまだながーく 吐きましょう 〜〜ッ』  では 他のページも御覧下さいね!

 

 これまで2度、いちどは乗用車、いちどはバイクに跳ねられた。もっとも重傷だったのはチビタの頭に私が座ってしまった時です。玄関で靴を履く時、横にいたチビタが瞬間的に後ろにきたのに気付かず、座った時ゴリッと音がした。乗用車に跳ねられた時同様、歯が折れたらしく、1週間ほど食事に苦労した。猫に追いかけられるのは度々。チビタを追いかけて猫が前から家の中まで入ってきて、チビタがそのまま裏へ行くと、また裏からふたりともはいってきたこともあった。   こんなこともあった。真っ黒の精悍そうな猫が、裏で寝そべってるチビタを襲う気配がないままチビタの前を通りすぎると、その瞬間チビタが追いかけ、猫は一目散に逃げた。家は人間がいない間も開けっ放し。その猫は何度か家の中を物色した形跡があった。いちどは、私がいるときに、私と顔を合わせても逃げることなく のっそりと入ってきた。すると、やにわにチビタが走り寄り追っ払った。自分を襲う猫とそうでないのを本能的に区分するんだろう。
 チビタの外出については、ほとんど私達のいないときだから仔細はわからない。
家庭菜園以外に、どこかの会社と会社の間をピョンピョン走っていた、チビタのお母さんの教え子の親の言「うちの嫁の車がお宅の前で何度か跳ねそうになった」、50mほど離れた会社の玄関にいた、一軒置いた家の人に「うちの家によく来てます」と言われた、etc
出られないようにしているつもりだが、いつのまにかいなくなり、いつのまにか帰ってきている。以前の犬、軍鶏や名古屋コーチン、そして現在のチビタ、みんな放し飼いだからうちは近所に顰蹙を買っている。    

 

暖かくなったせいか夜も外へ出て 2時間は じっと座って月を見ています。キンモクセイやモクレンや椿、松の木の根元がチビタのトイレ。雨でグチャグチャしている時はモクレンの大きな落ち葉を上にかぶせてやったり、 又松の落ち葉がフカフカしてクッションになり気持ち良くウンチができているようです。   私の長座布団に、私が右の方に座っていると、その左半分のスペースを 後ろ足を大きく開き、前足でガリガリやり 180度回転したかと思うと、今度はスケートをするように前足をツーっと前にだしカバーを伸ばしています。(何回も) それが終わると、 コテンッ(本当にスッテンコロリ)と横に長々と転び もう眠っています。わずかの時間ですがグッスリという雰囲気です。たまに仰向けになってしまい 起き上がれず足をバタツカセて『たすけて〜』というようにこちらを見たりします。その時は、チョッと背中に手を入れ力を加えてやるのです。笑ってしまいます。

「わしに断りもせずに・・・」と文句を言っていたお父さんが 今はメロメロ状態よ〜
チビタは白毛で上半身に茶色があり、目は黒、体重は一番大きい時に4kgだったとのことです。
雪が積もっている時のことです。雪に鼻をつっこむので何をするのかしらと見ていると 「ガーッ」とブルトーザーのように前に進んだそうです。 チビタのお母さんとTelで

もうひとつエピソード。僕が晩飯を食べようとして座るとすぐに膝に座り餌をねだる。そこでぼくがモタモタしていると、軽くない食器をくわえて放り投げようとする。いちどは焼酎の入ったコップをひっくり返し、机の上がビショビショ。

 

 

 

チビタ父さんのファンがいらしゃるなんて嬉しいことです。その後のチビタを報告しようと思っていたところ昨夜から様子がおかしいんです。夕方まで通常通りだったのに、ぼくが帰宅した頃から息遣いが激しくなり、鼻水混りの呼吸・細かい痙攣が始まりました。その前に食したものが悪かったのか、昨日朝からの激しい雨に打たれたのと急な寒さのせいか。僕の蒲団を1階へ下ろし、午前2時ごろまでいっしょに寝て ずっとさすっていました。無色無臭の液体を3回吐き、定期的な痙攣が続きました。その内台所へ移動、僕も眠ってしまいました。朝は台所の狭いところにはいりこみ、いつもならすぐに「遊んで」「ご飯ちょうだい」と言ってくっついてくるのに、今朝は名前を呼んでもじっとしていました。これまで何回か調子の悪かった時も人間を避けました。懸命に自分で治癒しているのでしょう。病院へ行くまでの車での移動も大きなストレスになるらしいし、犬猫ほど医者も治療経験がないので、自然治癒力に任せるざるを得ません。帰宅したら元気な姿で迎えてくれることを祈っています。((><;)/【心】心がイタイ、心配) 兎は声を出すわけでも尻尾を振るわけでもないので、要求・希望に沿うよう、こちらが想像力を働かせる必要があります。対応が違うと前足で引っ掻き、次に軽く噛みます。軽くとは言ってもこちらはかなり痛い。おこるわけにはいきません。食い物の種類が多いから、今何が食べたいか次々試します。今では袋の音か形でわかるのか、「早くクレ」または「フン 要らんわ」という意思を表します。ウサギ用人工飼料はほとんど食べませんから、草の採取作業も結構大変です。でも、僕の恋人だから苦になりません。例えば、冬の寒い時屋外でチビタが過ごす間、猫や鼬に襲われないよう、綿入れを着て1時間以上見守るのも、星を眺めつついろいろ想像する楽しい時間でもあります。 「天上天下唯我独尊」という言葉があります。現在では悪い意味でしか使われませんが、釈迦は「全ての生き物はただひとつしかない尊い存在である」という意味で述べました。少なくとも人間同士でこの観点に立てば、差別も戦争も生じないはずです。それを動物・植物にも拡大できれば、視野が拡がりますし平和になります。 2003.5.9 

  チビタは5月10日11時に永眠しました。9日は終日台所の片隅で過ごし、10日朝にガラス戸をあけると排便のため元気よく飛び出したので、良くなったかなと思いつつ看ていると、8日夕方からの小刻みな痙攣は止まっていませんでした。10日10時半ごろから行方不明になりあちこち探していたところ、前の庭と横の水路の間に横たわっていました。行ったことのない場所です。「チビタ!」と声を掛けると一瞬目を大きく開いたが、抱き上げた時には心臓は停止していました。前の庭に行くにはいくつかの障害物があります。庭と水路の間にも50cmほどの落差があります。最後の力を振り絞り、障害物を乗り越え、飛び降りたのでしょう。うさぎが人目につかない場所を死に場所に選ぶとは想像していませんでした。それなのに僕が声を掛けるまで懸命に命を維持し、眼でサヨナラの挨拶をしてくれました。8日夜僕の蒲団で3時間も撫でられていたのも、自分の余命を認識し、最後のお付き合いをしてくれたと理解しています。10日夜は好物を揃え通夜。いまは、91年3月22日に亡くなった犬のロンといっしょに、枇杷の木の根元で眠っています。11日は終日雨。庭に立ち、チビタが日向ぼっこをしていた場所・暑さを凌いでいた場所を思い出しながら、改めて悲しさがこみ上げてきました。両親が亡くなった時には涙が出なかったのに。チビタとの距離が近すぎたようです。 うちに泊った人みんなが、これうさぎか、と思うほどオモロイうさぎでした。兎の飼い方の本もあんまり参考になりませんでした。飼い主と同じく客を喜び、ひとりひとり挨拶して回り、時々は噛みつき、客間の蒲団の上を嬉しそうに走り・蒲団にもぐりこみ、自分を人間と思っていたのかそれとも僕たちを兎と思っていたのか。僕はチビタを通じ なお一層、人間が自然の一部である・自然を利用対象とばかり考えてはアカンことを学びました。
 チビタさん、ずいぶんたくさんイタズラをしたけど、それよりずっと多くの喜び・楽しさを与えてくれました。ありがとう。