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どんど焼き 富士宮秋祭り  かりがね祭り 吉原祇園祭  真鶴の貴船祭   万灯行列


富士川町どんど焼き 2004.1.14




富士宮秋祭り



御鎮座千二百年記念事業奉祝祭 2006.10.27

 



 富士宮浅間大社
御鎮座千二百年記念事業奉祝祭
佳節を祝い高山市富士神社の飛騨高山伝統芸能「闘鶏楽」(とうけいらく)を拝見できました。
一種の鶏芸で輪を作り柔らかい木の撞木(しゅもく)で鉦(かね)を下で打ち又上に掲げて打ちならし歩みました。
烏毛打とも鉦の音色からカンカコカンともよばれているそうです。
龍と鳳凰を染め抜いた着物姿、一文字笠そして黒、橙色、黄色、黄土色の四色の房、
草履には元禄物語とかいてありますね。



木遣・纏(富士地区鳶工業連合会)も参加 、奉納されました。


富士川下流の富士市、富士平野に江戸時代1621年より、古郡氏三代が53年間をかけて築いた約4kmの大堤防。鳥の雁が飛ぶ姿に似ている事から「雁堤」の名が付けられたといわれております。かつては水の勢いを弱める為に用意された堤外の河原は今は、畑地や人々の憩いの場である公園として利用されています。10月に投げ松明のかりがね祭があります。年々盛大になっていきます。
  

  

 

   

  
かりがね祭は古郡氏親子三代と人柱(通りがかった千人目の女性の身代わりにお坊さんが生きながらにして埋められたと私は聞いております)への感謝のお祭です。「投げ松明」とは火のついた薪を「蜂の巣」と言う籠をめがけて投げ入れる事です。円陣をくみ籠をめがけ松明を投げ上げ 「蜂の巣」にやっと入り点火すると大歓声に包まれます。「蜂の巣」は3本ありますので3回、一本毎に歓声があがります。多くの観客が一心になり「蜂の巣」を見上げ火が入るのを待ちます。「あーぁ_下手だねぇっ!」「危ないぞ!こっちにハズレた松明が飛んでくるぞっ」「ああぁぁっ〜惜しい」「入った、ハイッタ!!オオオッ」「もう入った?今年は早かったねぇ!」露店はすべて町内会や各種団体などの出店です。松明が籠に入った直後の画像を御確認頂けますでしょうか?3本の「蜂の巣」は段々に高くなっており最初の低い籠には子供達が投げます。火の粉を浴びの撮影です。

 

 

吉原ぎおんまつり

真鶴きぶね祭 

 

万灯行列

江戸時代満開の桜を模した造花を飾った大提灯を持ち寄りお寺の名入りの纏を振るようなお祭だったそうですのでこちらの写真の紙の造花は桜を模した物と思います。日蓮聖人のご命日は1282年(弘安5年)10月13日です。


蓬莱橋の由来     大井川蓬莱橋渡橋記念 東海道嶋田宿  蓬莱橋土地改良区の説明文

1869年7月、徳川慶喜を護衛してきた幕臣達が大井川右岸にある牧之原を開拓し、お茶を作り始めました。苦労のかいがあり生活が安定すると、島田のほうに生活用品、食料品を買いに来るようになりました。また、島田のほうからも初倉に山林、原野の開墾の為出かけるようになりました。大井川を小船で渡る事は、大変危険なことでした。そこで、島田宿の開墾総代達は、時の静岡県令(県知事)に橋をかける願いを出し許可され、1879年1月13日に完成しました。 木橋の為大井川の増水のたびに被害を受け1965年4月にコンクリートの橋脚に替え、今の姿となりました。  全長897.4m、 通行幅2.7m  1997年12月30日 「世界一の木造歩道橋」 としてイギリスのギネス社に認定されました。橋の名称は、静岡藩主となった徳川亀千代(家達いえさと)が1870年4月に牧の原を開拓している幕臣達を激励する為に訪れた時「ここは宝の山だ。」とおっしゃったのがそのいわれと伝えられています。    歩行者50円(小学生以下10円) 自転車70円     全国唯一、木造賃取り橋としても知られるこの橋を渡ると、きしむ木の音、川面に吹く風が郷愁をさそいます。



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